名古屋大学大学院理学研究科博士後期課程の竹川 宜宏(たけかわ のりひろ)、 同研究科の本間 道夫(ほんま みちお)教授、京都大学白眉センターの西山 雅 祥(にしやま まさよし)特定准教授、京都大学大学院工学研究科の金井 保(か ない たもつ)講師らの研究グループは、分子遺伝学と極限環境観察の手法を用 いることで、超好熱性細菌のべん毛モーターの機能を解析することに成功しま した。
この細菌は生物の進化の過程の初期に分岐した細菌群に属することから、細 菌の祖先がナトリウムイオンを使ってモーターを回転させていたことが強く示 唆されます。
細菌は、べん毛と呼ばれるらせん状の繊維をスクリューのように回転させる ことで水中を自由に泳ぐことができます。べん毛の回転はその根元の小さなモ ーターによって駆動されます。べん毛モーターを動かすためのエネルギー源は、 モーター内を通るイオンの流れで、水素イオン、ナトリウムイオン、カリウムイ オンなど、生物種によって異なるイオンを使うことが知られています。これらの エネルギー源の違いが、生物の進化においてどのように生み出されてきたのか、 これまで分かっていませんでした。
本研究では、生物の進化の初期段階に 分 岐 し た 細 菌 群 に 属 す る Aquifex aeolicus の べ ん毛 モー タ ー に 着 目 し ま した。この細菌のエネルギー変換ユニッ ト を 大 腸 菌 の モ ー タ ー 内 で 働 か せ た と ころ、本来は水素イオンを使って回転す るモーターが、ナトリウムイオンを使っ て回転するようになりました。様々な細 菌の遺伝子配列を比較することで、細菌 の 祖 先 が ナ ト リ ウ ム イ オ ン を 使 っ て モ ー タ ー の エ ネ ル ギ ー 変 換 を 行 っ て い た
ことや、エネルギー変換ユニットが進化の過程で他の細菌へと水平伝播された ことなどを予想させる結果が得られました。
べん毛モーターは、直径が50ナノメートル(2万分の1ミリメートル)とい う小ささでありながら、秒速200〜1000回転以上という速さで回転します。こ のような微小でかつ高速回転するモーターは、人工物はもちろんのこと自然界 でも他に類を見ません。今回の成果を応用し、様々な極限環境生物の遺伝子配列 を利用することで、新たな人工ナノモーターの創造が期待できます。
本研究成果は、英国科学誌「Scientific Reports」において、2015年8月5日
午前10:00(英国時間)に公開されました。
細菌の祖先はナトリウムを使ってエネルギー変換
〜原始のモーターを現代で再現する〜
【ポイント】
超好熱性細菌のべん毛および運動能を解析した。
原始細菌型モーターを大腸菌内で再構築し、そのエネルギー源がナトリウ ムイオン流であることを明らかにした。
進化におけるモーターのエネルギー源の変遷がはじめて提唱された。
【背景】
細菌は、べん毛と呼ばれるらせん状の繊維をスクリューのように回転させる ことで、水中を自由に泳ぐことができます。べん毛の根元には小さな回転モータ ーが存在しています。べん毛モーターは 2 つの部位、回転子と固定子からでき ています(図 1)。回転子は、回転するリング状の部分で、そのまわりを取り囲 むように10個ほどの固定子が配置されます。べん毛モーターを動かすためのエ ネルギー源は、固定子内を通るイオンの流れです。固定子はエネルギー変換ユニ ットとして働き、固定子内をイオンが流入することで、固定子と回転子が相互作 用して、モーターが回転する力が生み出されます。
固定子は3つの領域からできています。ペリプラズム側領域、膜貫通領域、細 胞質側領域が、それぞれ、固定子のモーター内へと安定な固定、固定子内のイオ ンの流入、回転子との相互作用と回転力発生、を担っています。固定・イオン流 入・回転力発生、という3つの現象が互いに関係し合うことで、固定子によるエ ネルギー変換が行われます。この際のエネルギー源となるイオンは、水素イオン を中心に、他にはナトリウムイオンやカリウムイオンなど、生物種によって異な ることが知られています。しかし、これらのエネルギー源の違いが、生物の進化 においてどのように生み出されてきたのか、これまで分かっていませんでした。
【研究の内容】
本研究では、細菌の進化の過程で最も初期に分岐した細菌群に属するAquifex
aeolicusに着目し、原始細菌型のべん毛モーターの回転機構を調べました。本菌
は至適生育温度が摂氏85度である超好熱性細菌であり(図2)、培養が困難であ ることからその生態についてはほとんど明らかにされていません。本菌を摂氏 85 度で培養し光学顕微鏡下で観察したところ、高温環境では早い速度で泳ぐこ とが示されました。また、電子顕微鏡を用いた形態観察から、本菌は細胞の極に 1本のべん毛を持つことが明らかになりました。したがって、A. aeolicusは原始 細菌型のモーターを使ってべん毛を高速回転させて泳いでいることが強く示唆 されました。
この原始細菌型のモーターの回転メカニズムを明らかにするため、菌体の調 製が容易な大腸菌を利用してA. aeolicusのべん毛固定子の機能評価を行いまし
た。A. aeolicus に由来する膜貫通領域と細胞質側領域、大腸菌に由来するペリ
プラズム側領域を融合させたキメラ型固定子を大腸菌内で発現させたところ、 大腸菌由来の回転子と共に回転運動を発生させることに成功しました(図3)。 この新たに開発した実験手法を使ってキメラ型固定子が発生する回転運動を調 べたところ、ナトリウムイオンを使って回転運動を生み出していることが明ら かになりました。大腸菌のべん毛モーターは水素イオンを使って回転運動を生 み出していることから、原始細菌型のべん毛モーターは異なるイオンをエネル ギー源としていることになります。
様々な細菌のべん毛モーター固定子の遺伝子配列を比較した系統学的解析か
ら、細菌の祖先はナトリウムイオンを使ってモーターのエネルギー変換を行っ ていたこと、そのエネルギー変換機構は細菌の祖先から現在まで統一されてい ること、進化の過程においてナトリウムイオン駆動型の固定子が一部の細菌へ と水平伝播されたことなどを示唆する結果が得られました(図4)。
【成果の意義】
べん毛モーターは、直径が50ナノメートル(2万分の1ミリメートル)以下 という小ささでありながら、秒速200〜1000回転以上という速さで回転します。 この回転速度はF1カーのエンジンの回転速度に匹敵します。このような微小で かつ高速回転するモーターは、人工物はもちろんのこと自然界でも他に類を見 ません。べん毛モーターの研究は、将来、人工ナノマシンを設計する際に大きく 貢献すると考えられています。
今回、超好熱性細菌の遺伝子配列をもとに、原始のべん毛モーターのエネルギ ー変換機構を再現することに成功しました。この成果を応用することで、太古の 昔に誕生した原始生命体のエネルギー変換の謎を解き明かすことができると期 待されます。また、様々な極限環境微生物の遺伝子配列を利用することで、人工 ナノモーターを設計する際の選択肢が大きく拡充され、これまでに無い特徴を もつ新規なナノモーターの創成が期待されます。
【用語説明】
●超好熱性細菌:
至適生育温度が80ºC以上の細菌。温泉や熱水噴出孔に生息する、極限環境微 生物の一種。その多くが系統分類上、進化の源流に位置する。
●Aquifex aeolicus:
超好熱性細菌の一種。至適生育温度は85°C、最高生育温度は95°C。アメリカ 合衆国のイエローストーン国立公園の温泉から単離された。水素ガスを酸化し、 二酸化炭素を唯一の炭素源とする化学合成独立栄養生物である。この細菌由来 のタンパク質は構造解析においてよく研究されている。
●べん毛:
細菌の細胞表面から生えた、らせん繊維状の運動器官。その根元には細胞膜に 埋め込まれた回転モーターが存在する。
●固定子:
べん毛モーターの一部で、イオンを流すエネルギー変換ユニット。回転子と相 互作用して回転力を生み出す。
【論文名】
掲載誌:Scientific Reports
論文タイ トル:" Sodium-driven energy conversion for flagellar rotation of the earliest divergent hyperthermophilic bacterium "
著者:Norihiro Takekawa, Masayoshi Nishiyama, Tsuyoshi Kaneseki, Tamotsu Kanai, Haruyuki Atomi, Seiji Kojima, Michio Homma
図1.べん毛モーターの模式図
多くの細菌は、細胞表面から生えた繊維(べん毛)をスクリューのように回転 させることで、泳ぐための推進力を生み出す。べん毛の根元には回転するモータ ー(べん毛モーター)が存在する。べん毛モーターの主幹となるのが、回転子と 固定子と呼ばれる部分で、固定子の中をイオンが流入することによって、固定子 と回転子が相互作用して、回転力が発生する。
図2.超好熱性細菌Aquifex aeolicusのべん毛と運動能
超好熱性細菌Aquifex aeolicusは、大腸菌などと比べはるかに高い温度(摂氏 68 度〜95 度)で生育可能な超好熱性細菌である(左)。本菌を電子顕微鏡で観 察すると、細胞の極に1本のべん毛繊維を持つことが分かった(右上、スケール バー:1 マイクロメートル)。その最大の遊泳速度の達成には、高温環境が必須 であることが分かった(右下)。
図3.超好熱性細菌べん毛モーターのナトリウムイオンを使ったエネルギー変換 超好熱性細菌のエネルギー変換ユニット(固定子)を、大腸菌モーター内で再 現することに成功した。通常の大腸菌がナトリウムイオンとは関係なくモータ ーを回転させるのに対して(左グラフ青)、超好熱性細菌Aquifex aeolicusのエ ネルギー変換ユニット(固定子)は、ナトリウムイオンに依存してモーターを回 転させる(左グラフ赤)。大腸菌は水素イオン(H+)を使ってモーター回転のた めのエネルギー変換を行うのに対して、細菌の祖先ではナトリウムイオン(Na+) を用いてエネルギー変換を行っていたことが強く示唆された(右模式図)。
図4.進化過程におけるべん毛モーターのエネルギー源の変遷の予想
進化初期に分岐した超好熱性細菌が、Na+駆動型の固定子を持っていることか ら、細菌の祖先は、まずナトリウムイオン(Na+)駆動型のモーターを獲得した。 進化の比較的初期の段階で、モーターはNa+駆動型から水素イオン(H+)駆動型 へと転換され、現在大腸菌などの多くの細菌においてはH+駆動型が主流となっ ている。またビブリオ菌やコレラ菌などの一部の細菌では Na+型固定子の水平 伝播により、Na+駆動型モーターが再獲得された。